こんにちは年の瀬の日本。これ、渋谷で書いてます。
クリスマスイブのイブだからですか?それともデフォルトでしょうか。
渋谷スクランブルスクエアのエスカレーターはディズニーばりの大行列で、日本人口の一極集中化に思いを馳せざるを得ません。
人がゴミのようだ!
さて、突然ですが
わたしが過去の話をする時。
もれなくこんな感じになります。
「東京に引っ越した日?2020年だよ。フィリピンから帰ってきてすぐでしょ」
「キューバいったのと、結婚したのは同じ年だから2019年だ」
THE 人生旅行基準。笑
ところで私の近況はといえば、きのうは昼寝から起きてきたムスメちゃんを抱っこした瞬間に、これまでと違う質量を感じて「重たくなった!うぉぉ大きくなったねえ」と1人で騒ぎました。そして夜、冬至の柚子湯用に買ったゆずを見るなりムスメちゃんは口を大きく開けかじりつく寸前でした(みかんと勘違いしてたんだぜ信じられるか。キュートすぎてる)
何気ない日々に前のめりでしなぷしゅ見る人
そんな、ありふれた日々はとても素敵で、何気ない日常にこそ、きらきら輝く瞬間が詰まっていますよね。
いやそうなの。それは間違いない。なんだけどね
人間の脳というものは、それはそれは忘れっぽくできていて、こういう日々の何気ない瞬間というものを、1年後2年後には綺麗さっぱりおぼえていなかったりするんですよね。いや、むしろおとといの晩ごはんの記憶すら忘却の彼方でない?
わたくし銭婆の
「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで。」
という言葉が大好きなんだけど
厳密には忘れているわけではないけど、思い出せないが故に、素晴らしき日々というものはふりかえってみれば存外、単調なものに思ってしまいがちではないでしょうか。もうね。いろんなことがあるのにね。
そもそもこれを書き始めたのも、わたしの単調な日々を支えてくれているけみたんことkemioくんが先日言っていた
「28歳になったけど、まだ25歳くらいの気持ち。コロナで何もできなかった3年間が空白なような気がして何も成せなかったような気がする。」
てきな話題に端を発したからです。
けみたんの言っていることって、もちろん気がするだけでそんなことはないですよね。われわれ人間、日々の何気ない生活でキャリアを積んで愛を育んで絆を深めて一所懸命生きている!いるんだけど、脳は目印の付いていない単調な日々を覚えていられない。たくさんかけがえない瞬間はあれど、忘れちまうというか思い出せないから空白に感じちゃうんですよね。そう考えるとソーシャルディスタンスだのステイホームだのの罪は重いよな。
わたしは、コロナが流行りはじめの2019年末-大騒ぎになった2020年はじめはフィリピンにいました。よく学びよく飲んでいたらそのうちロックダウンになり、街には銃を持った警官が溢れてパスを持っていないと外出できなくなりました。警察の目を盗んで闇市的な酒を買いに行ったりしました。コロナスタートという珍事件もあいまって、留学生活を謳歌していたはじめから日本に帰れないトラブルつづきの最後まで、わたしにとってそれは非日常な日々でした。
そんな留学先である学校の社長曰く
「海外にいくということは、みなさんにとって非日常であり、非日常な環境下では脳がある程度ストレスを受けるため、その時の記憶が残りやすい。みなさんが海外留学をして勉強するということは、普段よりもいろんなことが記憶に残りやすい状況で勉強するということ。すごく理にかなっているんです。」
いや確かにそうだなと、とても納得してしまった。それまで15カ国ほど行ってきたわたし、初めての海外は21歳でのイタリア旅行なんだけど、その時にピサの斜塔の隣のレストランで食べたカプレーゼのオイルのツヤも味も、不味すぎる朝食のハムの味も、友達がiPhoneスられた地下鉄の匂いまで昨日のことのように鮮明に思い出せる。何年も前のキューバでの二日酔いの感覚も、ドバイの白い砂浜を横目に飲んだロゼも(酒ばっか)。
だから旅行に行くって、人生に区切りをつけることだなと思うわけですね。
旅行は非日常だから、その時の風景・音・匂いまで、鮮明に脳に焼き付ける。脳が強烈に記憶してくれます。
本に付箋を貼るように、その目印を区切りとして、前後にあったことも関連づけて思い出せたりします。
だからなのかと思うが、わたし的には「ことしは、何もせずに過ぎちゃったな」みたいな虚無感を感じる瞬間がほとんどありません。
社会に出てから10年以上経つけど、どの年も、その年に行った旅行の思い出を目印に「〇〇に行った年かあ、あのとしに仕事辞めたな」「親が死んで悲しくて、でもみんなが旅行に誘ってくれて泣きながら酒飲んだな」「〇〇に行った年は、妊娠しててつわりで具合悪かったけど、愛犬とびっちり一緒にいられて最高だったな」みたいに振り返ることができます。
旅行じゃなくてもいいんですけどね、インパクトのある事は覚えていられるからね。
でも、旅行はやっぱり手っ取り早い。一緒に行った人たちと、脳に刻まれた鮮明な思い出をいつでも共有できるのもまたいい。
だからちょっと腰は重いけど(計画するの楽しいけど大変だしね!)たまには旅に出て、写真をとって、ムービーを見返して、自分で人生に目印をつけていくのも良いなあと思うのです。
そしてこの先の未来も、その思い出たちを大切な友達や家族と振り返ることができたら最高。
私が死ぬ時に脳内上映する走馬灯は旅を目印に刻まれた時系列年表ムービーと決めている。
そして2023年、みんなの死ぬほどの協力を経てムスメちゃんが1歳になる前にカンクンいけてよかった。
子どもが生まれてから、調整すること50倍くらいに増えて、一つ一つの旅行のハードルがっつりあがっちゃって
諦める旅行もあれば諦めそうになった旅行もあったんだけど
それでも、行かなくて後悔する旅はあれど
行って後悔する旅はない!
だから来年も日和らずにいっしょうけんめい旅しようとおもいます。
今年もありがとうございました。
来年も、たまに旅にでつつ、いい年にしましょう。
ていうか全然関係ないけど、このブログのタイトル、本文からまとめてAIがつけてくれたの。ヤバない?センス。